ここ今川は、江戸時代の上井草村

町内会の回覧の中に、沿線探訪の記事がありました。 それによると、ここ今川は、江戸時代の上井草村に入っており、明治22年に、上荻窪村、下荻窪村、下井草村と合併して、井荻村になったそうです。 そのあと、大正15年に井荻町になりました。  名前は「井」と「荻」をとってつけたと言われています。  4m道路による区画整理、西武線の3駅設置など、書いてありました。 井荻八幡宮の東参道北側の青梅街道沿いに、「井荻町土地区画整理碑」があり、区画整理の経緯、関係者132名の名前が刻まれているそうです。